パラ陸上 井谷俊介の事故や経歴 ・学歴 イケメン画像もチェック!アジア最速から東京pラリンピック2020へ!
2020年の東京パラリンピックに向け、陸上短距離界の超新星、井谷俊介さん。
2017年に本格的に競技を始めた井谷選手ですが、競技を始めてから1年足らずでアジアの頂点に立った…
井谷俊介さんは2016年に
交通事故で右膝下を切断しています。
今では健常者と変わらない生活を送っている井谷選手。
義足になった当初は、ふさぎ込んでしまう時期もあったそうです。
今回は、パラ陸上 に彗星のように現れた
井谷俊介選手の事故や経歴・学歴
陸上を始めたきっかけや
イケメン画像など紹介しますね♪
パラ陸上 井谷俊介の事故や経歴・学歴
アジア新記録、金メダル!
沢山のご声援ありがとうございました!ここまで支えて下さった方々へ感謝の気持ちでいっぱいです!
写真:カンパラプレス、日本パラ陸連、パラスポ! pic.twitter.com/z5RuFqxaUs— 井谷 俊介 (@itani_11) October 11, 2018
☆名前 井谷 俊介(いたに しゅんすけ)
☆生年月日 1995年4月2日
☆出身地 三重県尾鷲市
☆身長 180 cm
☆体重 73㎏
☆高校 津田学園高等学校(野球部)
☆大学 東海大学
☆所属 SMBC日興証券
将来の夢「カーレーサー」を奪われた事故
小さい時から車が大好きで、プロのカーレーサーになりたくて大学の頃はずっとカーレースに夢中だった井谷俊介選手。
鈴鹿サーキットのある三重で育った井谷俊介がF1をじかに観戦したのは小学1年の時。
18歳で免許を取るとカートを走らせるようになる。
愛知のサーキット場でアルバイトして、レース出場の資金をためていました。
「カーレーサー」になりたいという夢にまい進していた大学2年の春休み、井谷選手の乗るバイクが交差点で車と衝突。
4日間に渡った意識不明の状態から目覚めた時、右脚には感覚がなく、壊死し始めていた。
井谷選手は当時を振り返りこのように語っていました。
「早く(脚を)切ってくれって覚悟がついていたつもりだったのに、怖くて怖くて涙が止まらなかった」
事故から10日後の手術で右膝から下を切断しました。
出身高校や大学は?
井谷俊介選手の出身高校は三重県にある津田学園高校です。
高校時代は野球部でピッチャーとして活躍。
津田学園高校は甲子園にも出場する強豪校ですから、野球の腕前も相当なレベルなのでしょうね。
イケメンでピッチャーなんて
かなりモテたのでは^^
高校卒業後は、東海学園大学経営学部に進学。
プロのカーレーサーになることを目標に勉強とトレーニングに励みながら、アルバイトで貯めたお金で自分のマシンも買って・・・
先述した通り、大学2年の春休みに事故に遭ってしまいました。
パラ陸上との出会いは?
今では健常者と変わらない生活を送っている井谷選手。
いつも明るい彼ですが、さすがに義足になった当初は、ふさぎ込んでしまう時期もあったそうです。
先の見えない絶望感…。
僕ならマイナス思考になってなにもしたくなりそうです。
しかし、母・久美子さんと訪れた、ある施設で見た光景が転機が!
「義足のランニングチーム」
当時の心境を井谷選手はこうお話しされています。
楽しそうに義足で走る人の姿に「”障害者”というイメージが覆った」。突き動かされるようにジョギング用義足を借りて軽く走ると「自分が風を切って走り、耳元を抜けていく風の音が聞こえるのがすごい気持ちよくて。ただ走っているだけで笑顔になれた」。
走ることが楽しい、もっともっと走りたい…それがパラ陸上との出会いだった。
再び前を向いて歩き出した井谷選手は
2017年11月に陸上を始めることに!
アルバイト先のサーキット関係者からレーサーの脇阪寿一を紹介され、その縁でトレーナーの仲田健の指導を仰ぐことになり
「人の温かさを知ったし、みんなのおかげで強くなれた」
と語っています。
家族や友人、多くの人の励ましや支えがあって今の自分がある。
感謝する心を持っている井谷選手は
強い心を持っているんでしょうね。
井谷選手のイケメン画像
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